猫と寝子

第一話
【三毛猫】

猫と私の四方山話 最後までお楽しみ下さい

 私の母は女学校の頃、鎌倉に疎開していた。母の父、祖父は最初大阪で材木屋を営んでいたが、関東大震災後、東京の方が商売になると在を移し、母は深川の木場で生まれた。
  今も母の兄弟は木場で材木問屋を営んでいる。
  祖父は一時かなり大きな商いをしており、疎開していた鎌倉の家は別荘として購入したものだった。
  隣人は作家の川端康成氏で、 戦時中、隣組の当番制でお風呂を焚いた日には、当時書生として出入りしていた若き日の三島由紀夫氏などが、母の家のお風呂に入りに来た、と自慢げに話してくれたことがある。
 母は三島氏の印象を 色の黒い貧弱な少年だったと話していた。

 母は私が19の時に突然死んでしまったので、今になってそのころの想い出などもっと聞いておくのだったと悔やまれる。


  小学校に上がってすぐの頃、一度母とその鎌倉の家を訪ねたことがある。母の女学校時代の友人の家に泊めていただき、すでに人手に渡ってしまっていた家を見に行った。
  たまたま川端氏が在宅されており、玄関の隣の応接間に通され、母は奥様や川端氏と想い出話に花を咲かせていた。

 川端氏の家は小さな石段を幾つか登った上にあった。鬱蒼とした木々に囲まれた、静かな小さな古い家だったと記憶している。
  川端氏は小学生の私からみても 小柄で痩身、 しかし高い頬骨の奥に光る非常に鋭い眼孔が、やけにはっきりと今も印象に残っている。
  退屈した私を見かねた川端氏は、本棚から御自分が監修された絵本を2冊取りだして、私にくださった。
  その2冊の絵本は、その後川端氏がノーベル文学書を受賞された時と、死去された時に、我が家の話題にのぼったきり、引っ越しのどさくさで行方不明になってしまった。サインでもしてもらっていたら、なんて今考えれば欲も出るが、結局私の想い出の中だけの存在になっている。


 鎌倉の家には三毛猫が住んでいた。母も、一緒に住んでいた母の姉も、動物があまり好きでなく、まして戦時中で動物など飼う余裕のない時代なのに、いつからかその猫は勝手に住みついていた。

 “三毛”と呼んでいたその猫は、白地に黒と茶の大きな斑が2つだけついたとても大きな美しい雄猫だった。だが非常に気性が荒く、母たちにも滅多に身体を触らせることがなかった。
  母たちの方が同居させていただいている、という気分だったそうだ。

 三毛の雄猫は珍しいと言われるが、私も拾ったことがあるし、身近で生まれたのを知っているので、私にはそれほど珍しいという印象がない。

 ある夜、女二人の住まいに泥棒が入った。
  泥棒が母たちの寝ている部屋の前まで来たとき、暗闇の中から突然三毛が泥棒に飛びかかった。三毛にしてみれば母たちを守ったのではなく、自分のなわばりに侵入してきた不審者を攻撃しただけかも知れないが、いきなり猫に飛びつかれた泥棒はびっくりして猫を蹴り飛ばし、入ってきた雨戸から外へ飛び出し逃げていった。
  蹴り飛ばされて、障子につっこんだ三毛は しばらくうずくまっていたが、それでも母たちが触ることを許さなかった。

 数日して、その猫の武勇伝を聞きつけた地元の網元が菓子折をさげて三毛を譲ってくれとやって来た。もともと可愛くて飼っていたわけではなかったが、母たちの窮地を救ってくれた三毛だった。
  母たちはかなり悩んだが、三毛猫の雄は漁師のお守りで、それこそ殿様のように大事にしてもらえると聞き、あげることに決めた。

 母たちには最後まで気を許さなかった三毛が、網元には素直に抱かれて行ったそうだ。

 その後どんどん戦争が激しくなっていき、犬や猫にも辛い時代が続くのだが、きっと三毛は大事にされ続けた、と母は信じていた。


 この話を母に聞かされてから、沢山の大漁旗がたなびく船の舳先に丸くなっている大きな三毛猫を想像し、私はなんだか嬉しくなってしまった。

1998/02


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